少年と川。

「コイ」は間違いなく川の王様です。

ぼくらは憧れていました。

 

もし、大物を釣り上げれば

最低2年は伝説が残って、

一目置かれる存在になれますから。

 

でもまー、

そうそうチャンスはないわけです。

ある時期をのぞいては・・・

 

 

 

チャンスは梅雨時期、

大雨のあとにやってきます。

 

増水した川の水が引いてくると

堰堤(えんてい)の滝の下には

産卵期のコイがたくさん集まってきます。

 

とにかく、

1番ガツガツしてる時期で

釣れる確率は1年のうちで1番高い!

なんといってもすぐ足元の見えるところに

群れで見えていますから気合が入ります。

でも、釣りの技術も道具も粗末なぼくらには

そうそう釣れるもんじゃありません。

 

シーズンが終わると

今年の釣果が噂されますが、

ヒーローはほとんど誕生しませんでした。

 

そして、、、

 

 

ここから鯉の姿が消えると

すぐに夏がやってきます。

 

この季節は泳いだり潜って魚を獲ったり、

水中メガネと海パンの季節ですから、

ほとんど釣りはしません。

 

親に禁止されてる

かっぱ伝説がある深い淵の潜水とか、

目ん玉が飛び出る高い岩からのダイブは

一歩も引くわけにはいきません。

 

仲間の中で度胸が試されてますからね!

 

今思うと、

いじめられっ子が真っ先に

岩のてっぺんから飛び込めば

その瞬間からいじめが終わり、

仲間として認められたと思えるほど

大事な、大事な儀式でしたねぇ~。

 

足の裏なんか切り傷だらけでした・・・

 

黒豆みたいに日焼けした顔がさめる間もなく

楽しくて短い夏休みが終わるころ、

ぼくらはまた魚釣りを再開します。

 

この時期だけは、

みんなと離れてひっそり魚釣りをする

ぼくだけののシークレットポイントがありました。

 

そこは誰にも教えない釣り場で

実際、1度も友達を連れて行きませんでした。

 

 

そこへはあたりをキョロキョロ見回して

誰もいないのを確認してから

細い竹ヤブをかき分けて降りて行くんですが、

道路からはゼッタイ見えない水際に

ぼく一人が座れる小さな砂浜があって

その脇に細い川が流れ込んでいます。

 

ここは30~40cmくらいのコイが回遊してくるところで

夕方のいい時間に行けば

ぼくでも4~5匹は釣れるスイートポイントでした。

 

堰堤の上流域ですから水の流れはゆっくりで

岸は自然のままの草木に覆われて

透き通って見えてる川底は砂地。

 

ここにはコイの他にもいろんな生き物がいて

釣れない時でも飽きることはありません。

 

カエルやイモリは釣ることもできるし、

珍しい糸トンボやゲンゴロウは

そっと近づいて素早く捕獲します。

 

そして、ごくたまに海水魚のような姿の

珍しい魚が釣れました。

 

その魚は「オヤニラミ」と言います。

広島県の天然記念物で、

僕らの地域では「トーザブロー」と呼んでいます。

 

ある日たまたま釣れたトーザブローを

オヤジに見せて魚のことを聞いたら、

この魚の専門書を見せてくれました。

 

専門書があるほどの希少魚とは知りませんから

水槽の中の魚と図鑑を見比べて

ニンマリしてしました。

 

スズキの仲間だそうですが

海に下らないのはこの魚だけだそうで、

京都以西の中四国地方の一部と

九州の一部にしかいないんだそうです。

 

闘争心が旺盛で単独行動、

オスが卵を守る習性で、

きれいな川の緩やかな流域に住み、

砂や小石の川底の水草の生える環境で

卵を産み育てると書いてありました。

まさに、ぼくのシークレットポイントは

すべての条件が整った彼らの聖域です。

 

藪が水面を覆っていましたから

水鳥に狙われる危険もなく、

やっかいな人間の子供はたまに来るだけです。

もちろん、その子供はぼくでした・・・

 

小さなパラダイスで子供を産み育て

トーザブローは平和に暮らしていました。

 

 

でも、もうここに彼らはいません。

護岸工事でコンクリートにつぶされたからです。

コンクリートでのっぺりした護岸になった今では、

トーザブローも子供たちもここから姿を消しました。

 

 

書いてて思い出したんですが、

数年前、まさにこの場所で起こった事件が

全国ニュースで流れ、新聞にも載りました。

 

中国新聞:

『通信制高校に通う男子生徒(19)の両足を縛り、

川に突き落とすなどして殺害しようとしたとして、

県警は3日、少年4人(16~17歳)を殺人未遂容疑で逮捕』

 

少年4人は男子生徒の足を縛って

橋の上から5m下の川に何度も落とし、

這い上がってきた少年の足を

ライターで焼いて放置したそうです・・・

 

こんな酷いことをされたら

どんなに痛くて怖いか、

途中でやめようとは思わなかったのか!

強い怒りと悔しさを感じました。

 

 

この子たちは

高い岩から決死の覚悟で飛び込んで

水面に激しく叩きつけられたり、

深い淵に耳の痛さをこらえて潜り

魔物が出てきそうな暗い川底から

石を取って来たりしたことないのか?

 

立派に挑戦して溺れそうになった友達を

飛び込んで助けたり、、、助けられたり、、、

そんな経験してないんだろうか?

 

限界を超えて挑戦すれば

成功も、、、失敗もあって、、、

誇らしさも感じ、自分の弱さも思い知らされます。

 

そう、そうなるためには

自らの痛みを克服した経験が

絶対に必要です。

 

そんなことを繰り返していく中で

人の痛みを反射的に感じる心ができるはずです。

 

 

でも、ぼくらが自然に学んだそんなことも

今では作られたカリキュラムの中で

大人が教えるしかないのかもしれません。

でもですよ、

 

手のひらに乗る小さなトーザブローの

住み家を追われる痛みがわからない大人に

ライターで足が焼け焦げる友達の痛みを、

今後何十年も消えないだろう胸の中の闇を、

自分の痛みとして感じる教育など

ほんとにできるのか??

 

と思うのです。

 

護岸をコンクリートで固める治水工事は

人のくらしや命を守るためのものだし、

年々気象が激しくなっている現在では

ますます避けて通れないでしょう

(実際、500m下流にある母校は

この川が氾濫して流されました)

 

川の生態系を守るか、それとも氾濫を止めるか、

自然の脅威から人間を守ろうとすると

選択できる幅はいつも狭くなります。

 

でも、ゼロか100かだけではない最善の策を

だれかが正しく決断しなければなりません。

 

神代に木を植えて稲作を広めた

『スサノウ』や『オオクニヌシ』は

みんなで話し合いながら

苦労して、苦労して、泥だらけになって

国土や人々を豊かにしていったそうです。

 

だから自然とみんながありがたいと手を合わせ、

日本で最も多く神社にお祀りされてると聞きました。

 

それに習って、

みんなの意見をうまくまとめ、

英断を下せる立派なリーダーを

小さな頃から育てなければいけないはずです。

 

でも、残念ながら今の教育は

ずいぶん違うところを目指していると思われ・・・

もしかしたらその教育の結果が、

このむごい事件の根っこにあるのかもしれません。

 

 

ぼくは、次の世代を作っていくぼくの息子たちを

3歳のころから川や海に連れ出して

いろんなことをさせてきました。

 

 

たとえば、

海で溺れてる人を

『今から助けるからしっかり見ていろ!』

とぼくに命じられます。

(なぜか溺れてる人をよく発見します)

 

米とみそだけ持って行って

『米炊いてる間におかず捕って来い!』

と磯に追い立てられます。

 

岩の上からの飛び込みや

深い川底への潜水は

必ず強制されます。

 

泣いている子を見たら

どうしたの?と声をかけて

助けてやることを厳命されます。

 

そして、

よくできたらメチャクチャに褒められ、

サボればドヤされます。

 

ぼくが彼らと同じ目をしてた頃に感じた

大事な記憶が消えないうちなら

教えてやれることがあると思うのです。

 

酷い親だとご不快かもしれませんが・・・

 

 

少しシリアスになりましたが、

最後にうれしい話がありました。

 

ぼくのシークレットポイントは消えましたが、

少し下流のとこで『トーザブロー』を発見したと

甥っ子が教えてくれましたよっ!!

たくましく生き残ってました。

 

現代っ子の彼も最近川で遊んでるらしいので

この夏勝負してみましょうかね?

 

ぼく、この川ではツワモノですから

負けませんよぉ~!!(^^)v

P.S

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